もう2度と弾けないと思っていたのに・・・
ピアノを心から愛している人にとって、腕の損傷は命を失うも同然だろう。
今回紹介するジョアン・カルロス・マルティンスさんは、それまで天才的なピアニストとして名を馳せていたが、2000年代初頭に事故に遭い、手に麻痺が残ってしまった。
希望を捨てまいと24回もの手術を受けたものの、やがて引退。上手くピアノが弾けなくなって以降は、指揮者としての活動を余儀なくされていたという。
だが今年、そんな彼のために開発された最新装置のプロトタイプが完成し、彼に大きな希望を与えたという。
二十年ぶりに自身のすべての指を使い弾くピアノに、涙を浮かべるマルティンスさん。この瞬間、喜びはひとしおだったことだろう。(※2016年リオデジャネイロ・オリンピックの開会式でも演奏したが、その時は、一部の指を使っての演奏だった。)
ジョアン・カルロス・マルティンスさんは、幼い頃に天才的なピアノの才能を開花させ、神童として一躍注目を浴びた。20歳の頃には鮮烈なデビューをし、やがて世界をまたにかけて活躍をするように。ところが、事故と神経変性疾患により次第に指が動かなくなり、それ以降はピアノを辞めざるを得ず、指揮者に転身せざるを得なかった。
麻痺が残る手では親指と人差し指でゆっくり鍵盤を押すことしかできなかったというが、この特殊なグローブによって、再び自在に動かせるようになった。
開発したのは、工業デザイナーのウビラータ・ビザーロ・コスタさん。「彼の引退はあまりにも早すぎる」と思ったことから、制作を開始したという。
マルティンスさんの手から試作品を作り上げたというが、当初のものは理想とは程遠く、試行錯誤がひたすら繰り返された。その間もマルティンスさんは協力的で、このプロジェクトを実現するために、なんども家に招待してくれたという。
こうして、昨年12月に最新の試作品が完成。制作にはわずか1万円弱(500ブラジルレアル)ほどしかかかっていなかったというが、その精度は抜群だという。手に入れた喜びから、今では寝るときもずっとグローブをつけているのだとか。
マルティンスさんは、米紙「NYポスト」の記事でこのように喜びを語る。
「かつてのようなスピードは取り戻せないかもしれません。今は8歳の練習生のように、最初からやり直しています。
今までにもいくつもガジェットを受け取りましたが、いずれもうまく機能しなかったり、十分に動作しなかった。
ですが、このグローブは速さに応じて調整もできる。ただ、筋萎縮のせいでスピーディーな演奏をしようとしてもできずに落ち込んでしまうこともありますがね。」
マルティンスさんは、今年10月にデビュー60周年を祝い、ニューヨークのカーネギーホールで演奏予定だという。そのために、早朝や深夜にかけ一生懸命練習しているという。
最後に彼は、「1、2年はかかるでしょう。ですが、取り戻すために努力を続けます。私はまだ諦めません。」と語っていた。
2017年には、彼の波乱万丈の生涯が映画化され「マイ・バッハ 不屈のピアニスト」として今年9月には日本でも公開されている。気になる方は、ぜひご覧になってみてはいかがだろうか。