【安倍首相も称賛】第二次大戦中「命のビザ」を発行して6000人のユダヤ人を助けた正義の外交官、杉原千畝

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非難されることは覚悟の上で、人助けのため外務省の命令に背く

ヨーロッパを歴訪していた安倍首相が、リトアニア・カウナスのある人物の記念館を訪れ、「日本人として誇りに思う」と称賛した。

その人物とは、ナチスドイツから逃げる多くのユダヤ人を救った外交官、杉原千畝。

彼は第二次世界大戦中、外務省の命令を無視してまで「命のビザ」を発給し、6000人のユダヤ人を救ったことで世界中から称賛を浴びている。

だが彼の人生は、決して平坦なものではなかった。

そこで今回は、彼の波乱万丈の人生を、少し紐解いてみよう。

外務省に採用後、ヨーロッパ・リトアニアへ

1900年、杉原千畝は岐阜県で生まれた。

幼少期から非常に成績優秀であった千畝は、公費で留学ができる外務省留学生となり、1919年に中国のハルビンでロシア語を学んだ。

そこでも良い成績を収めた千畝は外務省に採用され、1939年8月にリトアニアのカウナスに派遣される。

記念館として使用されている、カウナスの旧日本領事館

千畝がカウナスに赴任した直後の1939年9月、ナチスドイツがポーランドに侵攻したことにより第二次世界大戦がはじまった。

ナチスドイツはユダヤ人の殲滅を目的にしており、ポーランドのユダヤ人にも危害が及び始めていた。

身の危険を感じたユダヤ人たちはポーランドから逃げることを決意し、隣国リトアニアでビザを手に入れようとする。

そんなユダヤ系難民が、千畝のいるカウナスの日本領事館にやってきたのは、1940年7月のことであった。

外務省の命令に背き、「命のビザ」を発給

カウナスの日本領事館にはビザを求めるユダヤ人が殺到したが、千畝はビザを発給することができなかった。なぜなら、当時の千畝のカウナスでの任務は情報収集に過ぎず、外務省の訓令によりビザを発給することが禁じられていたのだ。

だが千畝は、もしユダヤ人を見放せば、ナチスの手によって殺害されることは痛いほど理解していた。手助けしたいのに、命令のせいで助けられないなど、胸が締め付けられる思いだろう…

そんな状況に我慢ができなくなったのか、ついに千畝は日本行きのビザを発給し始めた。本省の命令に背いたのである!

それからはビザを発給し続ける日々であった。一日中ビザに必要事項を書き続け、仕事が終わると疲労でそのままベッドに倒れこみ、さらには痛さで腕が動かなくなることもあった。

それでも千畝は、「外務省から罷免されるのは避けられないと予期しているが、自分の人道的感情と人間への愛から、ビザを書き続ける」と述べ、ビザの発給をやめなかった。心意気が美しすぎる…

本国から再三退去命令を受けながらも、「ユダヤ人を助けたい」という一心で、寝る間を惜しんでビザを発給し続けていた千畝。だがその状況下で、ドイツ・ベルリンへの移動が決まってしまう。

1940年9月5日、ベルリンへの列車に乗り込んだ後も、車窓から手渡されたビザを発給し続け、発車の直前まで書き続けた。驚くほど執念深い人である。

千畝は1ヵ月半の間に、2000枚以上のビザを発給し、6000名以上のユダヤ人を助けた。そのビザは多くのユダヤ人の命を救ったことにより、「命のビザ」と呼ばれている。

目の前の人を助けたいという一心で、外務省の命令を破った千畝。彼の心意気は本当に素晴らしいものである。

しかしその後、称賛されるどころか、事実無根の誹謗中傷に遭う…

1945年、戦争が終結すると千畝は日本へ帰国する。

そこで待ち構えていたのは、外務省の命令に背いたことに対するひどい仕打ちであった。

帰国すると外務省から、日付と宛名だけが手書きで書き込める、つまり退職が前提となっている退職通告書が送られてきた。

さらに、「杉原はユダヤ人から金をもらってビザを発給していたのだ」という事実無根の中傷に遭い、「外務省の訓令に背くとは国賊である」とまで言われた。

世界に誇る正義の功績を成したにも関わらず、このような仕打ちに遭うとは、無念であったに違いない。

千畝は、そのような誹謗中傷が飛び交う最中の1986年、無念の思いを持ったまま86歳でその生涯を閉じた。

イスラエルに留学中の四男伸生を訪ねた千畝(1969年)

世界が称賛し、ついに名誉回復

このような嫌がらせが終わり、名誉が回復されたのは、世界が千畝を称賛するようになったからである。

ユダヤ人国家であるイスラエルの大臣やドイツ人ジャーナリストが、日本政府が千畝を表彰していないことに対して強く非難した。

さらに1985年にイスラエル政府は、日本人として唯一の「諸国民の中の正義の人」という称号を千畝に授与した。

そのような世界の動きを受け、1991年に外務省が謝罪し、2000年に日本政府による公式の名誉回復が行われた。

戦後55年、千畝の没後14年という長い月日が経ち、ようやく千畝の行動は日本でも認められたのである。

千畝の勇気ある行動は忘れられていない

ユダヤ人の命を助けるために、外務省の命令に背いてまで「命のビザ」を発給し続けた正義の外交官、杉原千畝。勇気をもって正義の行動を起こす人物は、真に称賛されるべき人である。

そしてユダヤ人たちは今でも、千畝を忘れていない。そのことを表す一つのエピソードがある。

2011年3月11日、東日本大震災で甚大な被害を受けた日本。その時、ユダヤ人たちは日本に援助を差し出してくれた。

アメリカのユダヤ人組織の声明がこちらである。

1940年、杉原は身職を賭して通過ビザを発給し、6,000人のユダヤ人の命を助けて下さった。いまこそわれわれがその恩義に報いるときである。

人々は長い歴史の中で傷つけ合ってきた。それは紛れもない事実である。だが、人々は助け合うこともできる。千畝は私たちに、そう伝えてくれているのかもしれない。

参照元:Wikipedia[1][2][3]

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Haru

抽象性大好き男。できないことにしか挑戦しない、当たって砕けるタイプ。詰めが甘く成功を取りこぼすこと多々あり。自己紹介の始まりは基本「男なのに嵐好き」

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