【F研究】日本軍も原子爆弾を開発していたことを知っていますか?

カルチャー

反核に生きた天才

1945年8月6日午前8時15分、世界で初めての核兵器が、広島に対して使用された。

原子爆弾の恐ろしさは、その被害をもって語られる事が多いが、実は日本でも、海軍を中心として、原爆開発プロジェクト「F研究」が密かに進められていたことはあまり知られていない。

「F」は、「Fission(核分裂)」の頭文字からとったもの。海軍の依頼を受け、京都帝国大学の優秀な核物理学者らが召集された。

その中の一人として名を連ねたのが、ノーベル賞受賞者でもある、湯川秀樹博士。

原子核内部に起こる相互作用において、媒介粒子(中間子)の存在を理論的に予言し、現代核物理学に不滅の足跡を残した天才学者である。

コロンビア大学で教鞭をとる湯川博士

実は筆まめであった湯川博士。2017年12月より、京都大学が、湯川博士が書いた1945年1~12月の日記をウェブで公開している。

日記は、冗長で文学的なものではなく、その日の出来事が簡潔にまとめられたもの。会議の内容や会合の相手、天気、体の調子、散髪したことまで、内容は幅広い。

本人の口からは決して語られることのなかった、「F研究」の文字も登場している。

2月3日(土)
雪、寒し
(中略)
午後、嵯峨水交社に荒勝、堀場、佐々木 三氏と会合、F研究相談
帰道 警戒警報発令

5月28日(月)
(中略)
荒勝教授より、戦研<戦時研究>(37の2 F研究)決定の通知あり

6月23日(土)
(中略)
午後 戦研 F研究 第一回打合せ会、物理会議室にて
荒勝、湯川、坂田、小林、木村、清水、堀場、佐々木、岡田、石黒、上田、萩原各研究員参集

そして、原爆が投下された日も、日記は淡々と綴られている。

8月6日(月)
一昨日頃から急に暑くなる 夜も蒸暑くて寝られぬ程
朝27~8度 日中は32~3度位か
午後教授会 終わって 京都師団との連絡会

8月7日(火)
風邪気で頭痛がするので家に居る 明日子供等集団疎開なので何かと慌しい
午後朝日新聞 読売新聞 等より広島の新型爆弾に関し 原子爆弾の解説を求められたが断る

核物理学の権威であった湯川博士は、原爆投下後、メディアから解説を求められることになるが、決して口を開かなかったという。

これは、自身がF研究という原爆開発に関わっていた事と関係しているとも言われている。

湯川博士は戦後、反核活動に尽力し、平和を訴え続けた。

12月30日(日)
晩 鳴滝に行く
高山、西田哲学読み出す

若い頃から哲学書をよく読む青年だったという湯川博士。戦後も哲学者と活発に交流していた様子が日記に書かれている。

こうした哲学は、湯川博士の研究に大きな影響を与えたと言われているが、反核思想の原動力もまた、そこにあったのかもしれない。

参照元:京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館資料室Youtube

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