科学技術の闇の側面…
20世紀初頭、科学の発展は著しく、人々の生活を豊かなものへと変化させた。しかし一方で、科学技術は大量殺戮兵器や倫理観のない人体実験など、悪の面にも利用された。言わば、科学の光と闇の両面が混在する時代であった。
例えば、ドイツの化学者フリッツ・ハーバーは、容易に肥料を作成する方法を発明し、世界に名を馳せた。だが彼は、第一次世界大戦時に多大な死者を出した毒ガスも発明したため、「化学兵器の父」とも呼ばれている。
また1930年代のアメリカでは、性病の一つである梅毒を人為的に黒人に感染させ、治療をせず経過を観察する、人体実験が行われた。この実験では100人以上の死者が出たといわれている。
このように、20世紀初頭には世界中で、人の命をも厭わない、あらゆる人体実験や科学研究が行われていた。
そして、1920年代のソ連でも、鬼畜すぎる実験が行われていた…
人間の知能とサルの身体能力を兼ね備えた半人半猿計画
1920年代、第一次世界大戦が終結し、旧ソ連の指導者スターリンは自国の軍事政策について考えていた。
スターリンはある時、こう語ったといわれている。
私が求めているのは、新らしい無敵の人間である。痛みに対して不屈であり、食事をさして必要とせず、その質に不平を言わない者だ。
現代からすれば、狂気じみた考えに思われる。だが、当時のソ連ではスターリンの発言は絶対。このような人間を生み出す方法が、真剣に科学の世界で考えられた。
旧ソ連の科学院は、スターリンの考えを実現するには、人間とサルの力を併せ持つ半人半猿を生み出せばよい、と結論付けた。
そしてこの計画を成功させるべく、一人の男に白羽の矢が立った。
その男とは、1870年生まれの生物学者イリヤ・イワノフ博士だ。異種交配研究界で著名であった彼は、シマウマとロバの交配など、分類上近い関係にある種族間の交配を実証していた。そのため彼の手にかかれば、生物学上類似点の多い、人間とサルの交配も可能だと考えられた。
彼は、その半人半猿計画を快諾し、実現のため奔走し始める。研究の方法は、人間の精子をメスのチンパンジーに人工授精させるというものだ。1926年、政府から巨額の資金を得たイワノフは、アフリカ西部にあるギニアに赴き、研究を開始した。
研究の場所にアフリカを選んだことには理由がある。もちろん、チンパンジーが多く生息している、というのは当然だ。だがより特筆すべきことは、当時の考えでは、白人よりアフリカ人の方がチンパンジーに近い、という差別的思想があったのだ。今ではまったく受け入れられない思想だが、当時は広く信じられていた。
そんな思想から彼は、アフリカ人の方が実験に適していると考えた。実際に、現地人の精子を数体のメスのチンパンジーに投与し、あとは妊娠を待つのみとなった。
しかし、今からすれば当然なのだが、チンパンジーが妊娠することはなく、イワノフの半人半猿計画はあっけなく失敗してしまった。
残された、もう一つの方法…
ギニアで大失敗に終わってしまったイワノフだったが、彼は半人半猿計画の実現をあきらめなかった。
失敗した実験は、人間の精子をメスのチンパンジーに投与するものだった。であれば、残された方法は一つである。
そう、チンパンジーの精子を人間の女性に投与するというものだ。
母国へチンパンジーを連れ帰ったイワノフは、被験者となる女性を探していた。そんな人見つからないだろー、と思う方が大半だろうが、なんと希望する女性が見つかったのだ!
名前は明らかになっていないが、彼女は不幸に不幸が重なり、自殺寸前まで追い込まれていたそうだ。そんな中イワノフの実験を知り、科学の役に立てるなら…と考え、協力者として手を上げたそうだ。これが科学の役に立つといえるのか、甚だ疑問なのだが…
協力者も見つかり、舞台は整った。あとは実験を開始するだけ…!と思った矢先の1929年、連れ帰ってきたチンパンジーが病気で死んでしまった。被験者が見つかったにもかかわらず、実験を実行することすらできなかったのである。
失敗の連続だったイワノフは、ついに政府から見放され、獣医学界で猛批判を浴び、1930年には逮捕されてしまった。計画を遂行できなかったイワノフを許さない、というスターリンの粛清であり、その後カザフスタンへ追放となった。
追放された後も、半人半猿計画を夢見ていたが、1932年にイワノフは失意の中、心臓発作で亡くなってしまった。
イワノフの死をもって、半人半猿計画は実現されることなく、闇に葬られることとなった…
現代なら半人半猿は誕生するのか?
このように、半人半猿軍隊を創設するという計画は、とても不気味な実験であった…が、そもそも、この計画は本当に実施されていたかどうか、はっきりしていないようだ。
この半人半猿計画は2005年に新聞記事で明らかになったのだが、その記事では、「ある旧ソ連の機密文書によると」や「ロシアの新聞が言うには」など、参照元がはっきりしないものが多かった。スターリンが命じた、とする事実も証明されておらず、半人半猿計画は謎の多いものである。
だが、イワノフがいくつもの動物実験で、人工授精を用い異種交配を成功させていたのは事実であり、彼が半人半猿計画を夢見ていたとしても、おかしくはない。
@rickygervais just checking you've seen the pilkmanzee my entry to the humanzee competition #lovingderek pic.twitter.com/ks8XA4Ml56
— Olly Tait (@RealOllyTait) 2014年4月24日
では、1920年代には失敗した半人半猿計画は、より発展した科学技術を有する現代、21世紀なら成功するのだろうか。成功すれば、まるで映画「猿の惑星」のような、今の社会とはまったく異なる不気味なものになりそうだが…
21世紀なら成功するかという問いに対するシンプルな答えは、残念ながらというか、当然というか、どちらにせよノーだ。なぜなら、チンパンジーなどの類人猿とヒトの染色体の構造が異なっているからだ。
染色体とは、身体的特徴などを遺伝する構造である。ヒトの染色体の数は46本だが、チンパンジーの染色体の数は48本であり、数や構造が異なる種族間での異種交配は、ほぼ不可能なのだ。イワノフの時代には、遺伝に関する詳細な知識が明らかになっていなかった。
またこの計画では、人間の知能とサルの身体能力を持つ半人半猿の誕生が見込まれていたが、仮に計画が成功したとしても、そのような個体が生まれる保障はまったくない。生まれた半人半猿は、「サルの知能」と「人間の身体能力」を持つ、最悪のケースであるかもしれない。
したがって、この計画は現代の科学技術をもってしても、容易なものではないだろう。その方がわれわれにとっては、ある意味安心なのだが…
科学技術の光と闇
半人半猿は誕生しなかったが、この計画が考えられたように、科学技術を用いた恐ろしい実験はどこの国でも行われていた。
科学は人間の暮らしを楽にするものである。だがそれは光の側面であり、恐ろしい技術にもなりうる、闇の側面も持っている。科学技術には光と闇の両面があるということを、知っておくことが重要ではないだろうか。