時代は少しずつ変わっている
LGBTのような性的マイノリティの人はおよそ10%いると言われているが、昔は強く差別され、社会から無いものと扱われていた。そのため、今回紹介する男性のように、数十年経った現代にやっと口を開いた人もいる。
注目を浴びているのは、アメリカ・コロラド州在住の
彼は数十年もの間、ゲイであることを隠してきたというが、新型肺炎のロックダウン中に自分を見つめ直し、「自分に嘘をつきたくない」と考え決意を固めたという。
これにより回顧録を書き始めたというが、地元メディア「3rd Hour of Today」の中でフェルツさんは、自分の口で明言しないと十分ではないと明かした。
「1942年で私が12歳だった時、自分が同性愛者だと気付きました。もしあなたがこれをカミングアウトすれば、家族や仕事、人間関係を全て失い、大きな代償を支払うことになり、pervert(変態)と呼ばれることになるでしょう」と、インタビュー内で答えていた。
こうしてフェルツさんは本当の気持ちを隠し続けていたというが、フィリップさんという男性と2年間だけ交際していたことがあるという。その時のことを、「私の空っぽな人生が、同じ欲求を抱えている人によって突然満たされた。まるで溶け合うようだった」と語る。
その後、宗教上の問題で二人は別れ、フェルツさんは女性と結婚し、子供をもうけた後に離婚。娘のレベッカさんからも同様に同性愛者だとカミングアウトされたという。
しかしご本人はカミングアウトに至ることなく過ごしていたのだが、レベッカさんと話している時「フィリップと離れなければよかった」とポロリと口にしたことから、きっかけが生じたという。ここからカミングアウトすることを考えたのだ。
このドラマチックな話から、ネット上では大きな支援を受け続けている。
そんな中、フェイスブックでフィリップさんが亡くなったことを報告。
投稿にはこのようなコメントを残していた。
「フィリップ・アレン・ジョーンズは私の人生における愛そのものでした。私はとても悲しく、孤独感に苛まれています。
彼の姪からは、『充実した幸せな人生を送った』と伝えられましたが、彼の長年のパートナーは数年前に亡くなっており、最後の人生はひとりぼっちでした。
彼の最高の青春時代を共有したと思っています。彼とのことは思い出深いもので、私はずっと感謝をしています。心から彼を何年も愛していましたが、彼はもう亡くなりました。
愛を届けることができず、さようならを言うことができないのは恐ろしく痛ましいものです。
彼と共に過ごし、一緒にいることで、彼がどんなに愛すべき人だったは明白です。」
社会の圧力により引き裂かれた二人が、最後を共にできなかったのはあまりにも悲しいこと。コメント欄には多くの励ましの言葉が寄せられていた。
彼らのような辛い思いをする人を一人でも減らすべく、私たちのような新しい世代は、さらに自由を切り開くべきなのだろう。