英国には、街の広場に立って鐘を鳴らし、大声でお知らせを読み上げるという、いささか時代がかった職業がある。タウン・クライヤー、すなわち街頭布告人だ。
新聞もテレビもインターネットもなかった時代ならともかく、スマートフォンで何でも分かる現代に、なぜそんな仕事が残っているのだろう。そう思っていたら、このたび英国で世界一声の大きい女性が誕生したという。
しかも、その女性の職業こそ、タウン・クライヤー(Town Crier )という。
なるほど、世の中には声の大きさが立派な職業能力になる仕事が、まだ残っているらしい。
その声、なんと105.9デシベル!
ギネス世界記録に認定されたのは、英国サフォーク州ニューマーケットのタウン・クライヤー、ブレンダ・ウィリソンさん。2026年9月9日に行われた記録挑戦で、105.9デシベルという大声を記録した。
これはギネスが認定する「女性個人による最も大きな叫び声」の世界記録だ。11月4日に公開された公式記事では、彼女が鐘を手に、伝統的な衣装で声を張り上げる姿が紹介されている。
叫んだ言葉は「Oyez(オイェ)」。英語でいう「Hear ye」、つまり「皆の者、聞け」といった意味の古い呼びかけだ。アングロ・ノルマン語や古フランス語に由来する言葉で、英国の街頭布告人が今でも使っている。
105.9デシベルといえば、近くで鳴る自動車のクラクションなどに例えられるほどの音量である。日常会話の声とは、文字どおり桁が違う。
きっかけは娘の「うちの母ならポテトと叫べば聞こえる」
ブレンダさんがタウン・クライヤーになったのは1987年のこと。当時、彼女はピーターバラの公園で、離れた場所にある二つのカフェを管理する仕事をしていた。
ある日、地元紙にタウン・クライヤーの募集広告が掲載された。それを見た娘さんが、母親に内緒で応募の手紙を送ったという。
その推薦理由が実に愉快だ。「母が片方のカフェから『チップス!』と叫べば、もう片方のカフェでも聞こえるはず」というのである。二つのカフェは約1.5マイル、つまり約2.4キロも離れていた。
もちろん、実際にその距離で声が届いたと測定されたわけではない。娘さんによる、母親の声の大きさを表現したユーモラスな推薦文である。だが、その冗談のような手紙が、彼女の長い職業人生の始まりになった。
そもそも、タウン・クライヤーとは何者なのか
タウン・クライヤーは、かつて町の人々へ重要なお知らせを伝える役割を担っていた。人々が新聞を読めるとは限らず、印刷物も容易に配れなかった時代には、大きな声で情報を伝えることが大切だったのである。
鐘を鳴らして人々の注意を集め、「オイェ、オイェ」と呼びかける。王室に関する発表や町の行事、重要な知らせなどを、広場で読み上げた。いわば人間版の公共放送設備だ。
現代の英国では、こうした仕事の多くが儀礼的・文化的な役割になっている。歴史的な衣装を身につけ、町の催しや祝賀行事で声を張り上げる。効率だけを考えればスマートフォンで十分だが、伝統というものは、効率だけでは測れない。
英国王室の祝賀行事でも声を張り上げてきた
ブレンダさんの経歴はなかなか華やかだ。エリザベス皇太后の100歳の誕生日や、エリザベス2世女王の90歳の誕生日、在位70周年を祝うプラチナ・ジュビリーなど、王室に関わる行事でも布告を行ってきたという。
1995年には、タイのクウェー川に架かる橋で、平和を記念する布告も行った。大声であることはもちろん、言葉を明瞭に伝えることも、タウン・クライヤーに求められる重要な能力だ。
本人によれば、今回の世界記録は最高の出来ではなかったらしい。風邪をひいていたので、本調子ならもっと大きな声が出せたはずだという。世界記録を達成してなお、少々不満が残るとは恐れ入る。
スマホの時代にも、声を張り上げる理由
ブレンダさんは、タウン・クライヤーには男性だけでなく女性も向いていると話している。声の大きさだけでなく、明瞭さや言葉の聞き取りやすさが大切だからだ。
考えてみれば、英国の伝統文化には、少し不思議なところがある。とっくに新しい方法ができているのに、古い方法も大切に残しておく。合理性だけで割り切らないところに、文化の面白さがあるのだろう。
それにしても、娘の冗談めいた推薦から始まった仕事が、約40年後には世界記録につながったのだから、人生は分からない。
今では誰もがスマートフォンで情報を受け取る時代だ。しかし、町の広場で鐘が鳴り、105.9デシベルの声が響いたら、思わず顔を上げてしまうに違いない。
もっとも、そのお知らせが「本日のポテトは売り切れです」だったら、少々大げさではあるけれど。
参照元:
Guinness World Records・ブレンダさんへの取材と記録【1】
ギネス世界記録・記録認定ページ【2】
UPI・2026年11月5日【3】
Youtubeギネス世界記録 公式チャンネル【4】








