ガラケーに見る日本のものづくり精神
「世界的ですもんね。乗るしかない、このビッグウェーブに」
日本で「iPhone3G」が発売されたのが、2008年7月。ちょうど今から10年前の夏である。
冒頭のセリフは、その発売日に「ソフトバンク表参道」の行列に並んでいた男性(Butchさん)が、メディアのインタビューに対して発したもの。彼の奇抜な風貌とセリフの躍動感が見事にマッチしてネットユーザー達にはまり、2ちゃんねるでは即日アスキーアートが作られるなど、一大ブームを巻き起こした。
以来、ビッグウェーブの勢いはかげることがなく、折りたたみ式のいわゆる「ガラケー」のシェアは下がり続け、街を歩けばほとんどの人がスマートフォンの画面を眺めている時代となった。
スマホを一番最初に形にしたのはアップル。イノベーションを起こしたのはジョブズ。もはやそれが、あたり前として浸透している。
日本はといえば、長い間、世界標準を取り入れずに独自の進化を遂げた結果ガラパゴス化し、スマートフォンの開発にはずいぶんと遅れをとったように思われている。
しかし実は、世界標準からはずれていたにせよ、日本のケータイの性能・機能はチャレンジングで最先端かつ最高水準であったとの評価が、至る所でなされている。
これに関連して、先日ネット上で、ある一つのツイートが話題となった。
今やスマホってタッチパネルが当たり前ですけどiPhoneが登場する以前にパイオニアがあまりにも先駆けしすぎたタッチパネル携帯を発売していた事実を知ってほしい。
ツイッターユーザー・JITOさん(@jijijito)が、往年の奇作「J-PE02」のパンフレット画像とともに発信したつぶやきである。
「J-PE02」は、パイオニアが製造し、J-PHONE(かつて存在したケータイキャリア)から1999年に発売されたケータイ機種。全面タッチパネル搭載で、発売当初は「未来が来た!」と日本国民をざわつかせたものである。一方で高機能がゆえに「バッテリーがすぐなくなる」などの難点もあり、そのあたりも現代のスマホ事情と重なるところがある。
この日本の古き良き(?)時代のケータイ事情を紹介するツイートを端緒として、「日本のガラケーとものづくり」についての小さな議論が発生した。
このころの日本製品には創意工夫、愛があった。今やそれに胡坐をかいて惰性で作ってる感がある。
ハード的に他社の機種と見た目からして全然違うぞ!って冒険機種がスマホ文化になってからすっかりなくなってしまいましたね。
三菱が「折り畳みでタッチパネル」なケータイを出していた様な。もっとこういうチャレンジを続けていれば、日本の携帯メーカーも、いまとは違った状況になっていたと思う。
↑iPhoneやAndriodスマホが時代遅れになる時期が来ないとも限らないので、結果的にガラパゴスになったとしても面白いのを作る努力を1ミリでも続けて欲しかった。
SonyのCLIEシリーズも完成度が凄かった。無線LANやカメラは勿論のこと、TH55は背面ハードウェアキーを備え、恐ろしく使いやすいPDAとして時代を15年は先取りしていた。
↑ここまでできたんだったら、SONYにスマートフォンを発明してほしかったですね。
あまりにも時代を先取りしすぎたのか、ブランディングやマーケティングの技術が追いついていなかったのか、理由はわからないが、「J-PE02」の後続機「J-PE03」では全面タッチパネルが廃止され、最先端すぎる着想はそれほど日の目を浴びる事はなく、静かに埋もれていくこととなった。
しかし、一口に「ものづくり」と言っても、物理的に何かを作り、多くの人に使われる事だけがすべてではなく、そこには「思い」や「魂」みたいなものも宿ってくるだろうし、そういう点では、20年後の今、こうしてひとつの議論のとっかかりとなった「J-PE02」は、「ものづくり」の精神的な部分を確かに体現しているのだと思う。