近づくものには容赦ない攻撃をする原住民!!
今だに人類が踏み込めていない秘境がある。インドの東に浮かぶ北センチネル島という小さな島だ。
「文明を拒否し続ける未開の島」「世界一行くのが困難な島」「誰もたどり着けない孤立の島」とか仰々しい呼ばれ方をしている。
そう呼ばれる理由は、島に近づく者に対し、容赦なく弓矢が雨あられのごとく降り注ぐと言われているからだ!!
それは果たして、本当なのか!?
本当です。↓こんな感じです。
弓矢で射られるのだ。
過去には、殺害されてしまった事例も出ている!
事例①脱走した囚人が島に逃げ込むがあえなく、、
1896年に、イギリスは当時、北センチネル島の東側のアンダマン諸島を占領し刑務所を建てていた。あるヒンドゥー教徒が脱獄して、北センチネル島に逃げ込んだ。行方を追った追跡者が発見したのは、弓矢で射られ、喉を掻き切られた囚人の遺体だった。これはニューヨーク・タイムズ紙が2012年4月12日の記事でも報じている。
事例②密猟者が島に漂着するもあえなく、、
2006年には、インドの密猟者2人が流されて、北センチネル島に漂着したが、弓矢で殺害されたという事例がある。北センチネル島付近の海域では、ウミガメやロブスターが密猟されていることが知られているが、密猟者が狩られることになるとは、、、
他にも、報告されていない事例もありそうだ。恐ろしや!!
センチネル族の貴重な画像や動画
ここではセンチネル族の数少ない写真や動画を紹介しておこう。
これは、北センチネル島のフェイスブックからの写真。島のフェイスブックアカウントが外部の者に、勝手に作られていることは、センチネル族は知らない。
勇ましく大きな弓矢を持っている。ヘリに対しての攻撃を試みようとしている!ちなみにfacebookだけではなく、「northsentinelisland.com」というサイトもあるので興味のある人はチェックしてみてください!世界中に北センチネル島のファンがいるのだ。
手前の2人は、こちらを威嚇しているように見える。時に友好的ともとれる態度を示すので、物資を森の中まで届けた時があったようだが、いきなり矢で攻撃を受けてしまったらしい。主にインド政府主体による、センチネル族との接触活動は、友好的な時は無かったようだ。
This is the boat that washed up on shore. They dead now.
「浜に打ちあげられたボート。彼らは今はもう死んでいます。」という怖いコメントあり。
こちらは、過去に接触を試みた時の動画だ!
外部の者を発見すると、続々とセンチネル族が集まってくる!この徹底した攻撃態勢こそが、未開の地を維持してきた理由。しかし、なんでそんなに外部との接触を嫌うかはわかっていない。
北センチネル島の基本情報
北センチネル島は、知ってる人は知ってるが、知らない人の為に、分かっている限りの基本情報を書いておこう。場所は、下の地図のように、ミャンマーの南、インドの東に浮かぶ島だ。
面積:推定72㎢(大阪市の3分の1くらい、小豆島の半分くらい、八丈島が69.11㎢なので近い)
人口:50人から400人程度(はっきりしない)
民族:センチネル族
言葉:センチネル語
東にあるアンダマン・ニコバル諸島とともにインドの連邦直轄領。
Google Earthの写真だとこんな感じ。
島のほとんどはジャングルなので、ヘリで上から撮影しても、どのような生活をしているか、正確に何人いるかなどが掴めない。しかし、ここの海は相当きれいだな。エメラルドグリーンの海が目を引く。
インド政府による入島規制
地理的には、船があれば簡単にいける距離だ。しかし、北センチネル島もアンダマン・ニコバル諸島ともに、インド政府は外国人の立ち入りを制限している。理由は、軍事的な理由と、原住民の保護政策のためだと言われている。
外部の文明を拒否し続けている民族は、現代のウイルス(インフルエンザとか)の免疫が無く、感染すると絶滅してしまう危険もあるからだ。
西洋諸国による植民地時代を、よく乗り越えられたなと思うが、単なる小さな島なので、放っておかれただけの可能性もある。
ちなみに、日本は、北センチネル島の東側に浮かぶ、アンダマン・ニコバル諸島を第2次大戦中に占領していた事実がある。
それにしても、未開の地「北センチネル島」、、、恐ろしくも好奇心を駆り立てる秘境には違いない。
参照元:Wikipedia、facebook、YouTube、New York Times、northsentinelisland.com