【影の皇帝】100年前、帝政ロシアを破滅させた男?怪僧ラスプーチンの生涯

ミステリー

帝政ロシアが崩壊した一因となる男…

およそ100年前、ロシアの皇帝を影で操る、「怪僧」と呼ばれる一人の男がいた。

彼の名前はラスプーチン。神秘的な能力を持ち、色仕掛けで貴族社会に取り入り、尋常でない生命力を有した男で、帝政ロシアを破滅させたと言われている。そんな彼の、驚きの生涯を少し覗いてみよう…

普通の農夫から魔術師へ

1869年、ラスプーチンはロシア・シベリアの小さな村に、農夫の息子として生まれた。当時、小さな村では子供を学校に通わせることは難しく、ラスプーチンは読み書きができなかった。それでも彼は農夫として成長し、18歳で妻をもらい、幸せに暮らしていた。

そんなごく普通の農夫であったラスプーチンだが、20歳の頃に不思議な体験をする。野良仕事をしているときに突然、生神女マリヤ(聖母マリア)の声を聞いたのである。そのような神秘的な体験に感化されたのか、ラスプーチンは、父親や妻に突然「巡礼に出る」と言い残して、1892年に村を出てしまった。

妻は、「いつ帰ってくるのだろうか」と心配していたが、ラスプーチンは数ヶ月後無事に村に帰ってきた。だが、妻や周囲の人々はラスプーチンに驚嘆してしまう。彼は、誰も見分けがつかないほどの変貌を遂げ、未来を予言する力や難病を治癒する能力を手にしていたのだ。

Grigori Rasputin 1916.jpg

ラスプーチンは普通の農夫ではなく、常識では考えられない能力を有する魔術師へと変わり遂げたのである。その能力を使うことで有名になったラスプーチンは、1904年に当時の都である、サンクトペテルブルグに進出する…

皇太子の難病を治癒し「神の人」になる

サンクトペテルブルグにやってきたラスプーチンは、街の人々の病気を次々に治していく。彼は魔術師としての地位を確実なものにしていき、人々に崇拝されるようになった。

ラスプーチンの噂は宮廷に届くようになり、時の皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后に謁見する機会を手にする。さらには、神秘主義に傾倒していた皇后に寵愛されるようにまでなった。ただの農夫であった男が、宮廷に出入りできるようになったのである。

Nikolay II 1913.jpg

それでも止まることはなく、ラスプーチンは自分の名をどんどん上げていく。1906年に大物政治家の娘の傷病を癒し、より大きな信頼を得たラスプーチンは、1907年に最大のチャンスを手にする。難病に冒されていた皇太子を治癒せよ、と皇帝に命じられたのだ。皇帝にとって血縁を絶やさないことは最も優先すべきことであり、藁にもすがる思いでラスプーチンを頼ったのであろう。

そんな状況下で、ラスプーチンは皇太子の血友病を見事に治癒した。実は、血友病は当時の科学では治癒することのできない病気であり、どのようにしてラスプーチンが治したのか現在でも明らかになっていない。本当に科学では解明できない、神がかった能力を持っていたのかも知れない…

皇太子の病気を治癒したラスプーチンは、皇帝夫妻から絶大な信頼を勝ち取った。一般の人民からは「神の人」と称され、皇帝からは「聖なる男」と呼ばれるようになり、以前にもまして尊敬・崇拝されるようになった。ラスプーチンはついに、皇帝にも認められる存在となったのである。

彼はその後、宮廷の中でより大きな権力を持とうと画策し始めた…

宮廷内の女性の絶大的な人気を勝ち取る

やがてラスプーチンは、アレクサンドラ皇后をはじめ宮中の貴婦人や貴族子女から熱烈な信仰を集めるようになる。

噂によるとラスプーチンは、30センチを超えるほどの巨根と超人的な精力を有していたらしく、それらのおかげで女性からの盲目的な信仰を得ることに成功したそうだ。色仕掛けで取り込めるのは男性だけだと思いがちだが、そうではないようである。

余談だが、彼の男性器とされるものがアルコール漬けされた状態で、サンクトペテルブルグの博物館に収められているらしい。興味のある人は是非、訪れてみてほしい…

Rasputin Photo.jpg

そんなこんなで、宮廷内の女性の人気を勝ち取ったことにより、ラスプーチンは政治的に大きな権力を持つことに成功した。ニコライ2世に助言をすることで国政を左右させることまで可能になり、「影の皇帝」と呼ばれるようになった。彼はついに、信頼を得るだけでなく、政治を動かすこともできるようになったのである。

だが、こんな状況を貴族が許すわけがなかった。彼らの不満は徐々に、ラスプーチンを寵愛するニコライ2世自身に向くようになる。貴族の中に生まれたこの不満は、後々帝政ロシアを崩壊させる一因となる。

そして、その要因を作り上げたラスプーチンも、当然のように命を狙われるようになった…

ラスプーチン暗殺と強靭な生命力

ラスプーチンが「怪僧」と呼ばれる理由は、宮廷内で権力を掌握できるほどの神秘的な能力を持っていたからであるが、実はそれだけではなかった。ラスプーチンは、一般では考えられないほどの、強靭な生命力をも持ち合わせていたのだ。

Rasputin-PD.jpg

特に、暗殺される時にみせた彼の生命力は、すさまじいものであった。

ラスプーチンはある貴族の屋敷に呼ばれ食事を共にした。その貴族はラスプーチンを暗殺する目的で屋敷に招待しており、料理の中に大量の青酸カリを盛っていた。

ここでラスプーチンは尋常でない生命力を発揮する。彼は、致死量を超える青酸カリを含む食事をペロリと平らげ、平然としていたそうだ。毒物が効かないとは、もはや人間ではないのか…?

だがラスプーチンの生命力のすごさはこれだけではなかった。その後貴族に、心臓と肺を銃弾を打ち抜かれ床に倒れたのだが、すぐさま立ち上がったのである。サイボーグか何かかと疑いたくなるほどの生命力である。

そして頭蓋骨が砕けるほど殴打されるとようやく息絶えた…と思いきや、解剖によると死因は、その後川に投げ捨てられた際、肺に水が入ったことによる溺死であったそうだ。

青酸カリを盛られ、銃弾を数発浴び、頭蓋骨を砕かれても、その時点では息絶えていなかったのである。本当に恐ろしい生命力である…

なにはともあれ、ロシアの宮廷、政治をことごとくかき乱したラスプーチンは、1916年に47歳の若さで亡くなってしまった。

ラスプーチンの不吉な予言…

ラスプーチン死去の報告に、敵対する者は喜び、ニコライ2世は悲しみながらも政権維持に努め、一件落着……と思ったが、そうは問屋が卸さないのが、怪僧の真髄。ラスプーチンは死の直前、ニコライ2世に不吉な予言を残していた。

私は殺されます。その暇乞いに参りました。私を殺す者が農民であれば、ロシアは安泰でしょう。もし、私を殺す者の中に陛下のご一族がおられれば、陛下とご家族は悲惨な最期を遂げる事となりましょう。そしてロシアは長きにわたって多くの血が流されるでしょう

実は、彼を殺した貴族は皇族の一人であった。そのためラスプーチンの予言が正しければ、ニコライ2世を皇帝とする帝政の時代は終わってしまう。この予言は不吉なものとしてあまり信じられてはいなかった。

だが、彼の残した予言は当たってしまった。1917年、ロシア革命が起こったのだ。

Russian Revolution of 1917.jpg

この革命において、これまでの帝政は崩壊、社会主義政権が誕生し、その後ニコライ2世一族は惨殺されてしまった。ラスプーチンの予言が、完璧なまでに現実のものとなったのだった…

ロシア革命は、ニコライ2世の政治に対する不満が積もりに積もって起こったものである。そしてその不満の種は、宮廷内におけるラスプーチンの存在によるものであった。怪僧ラスプーチンが帝政ロシアを破滅させるきっかけとなっていたのであった…

ロシアの怪僧ラスプーチン

ラスプーチンはこのように、神秘的な力や尋常でない精力と生命力を有していたことにより、ロシアの貴族社会を大きく揺るがす人物であった。怪僧と称されるのも、頷くことができる。

一国の社会とは簡単には揺るがないように思えるが、実はたった一人の力で揺るぎ、崩壊にまでつながる可能性のある、もろいものなのである。われわれはその事実を、知っておく必要があるのではないだろうか。

参照元:Wikipedia

あなたにおすすめ

記者紹介記者一覧

Haru

抽象性大好き男。できないことにしか挑戦しない、当たって砕けるタイプ。詰めが甘く成功を取りこぼすこと多々あり。自己紹介の始まりは基本「男なのに嵐好き」

この人が書いた記事記事一覧