普通じゃない剥製
剥製と聞くと、オシャレなバーの壁に飾ってある、鹿の頭などを想像する人が多いだろう。
剥製とは、死んだ動物の皮を剥がし、腐らないように加工したものである。お店や家庭に置けるようなものから、博物館にしか置けないような学術的な価値の高いものまである。
その剥製の多くは、ポーズは少し派手になったりすることもあるが、生きていたときの状態に復元されることが多い。
しかし、イタリアのあるアーティストによる剥製は、これまでの剥製とはかなり違っているのである!
その剥製をご覧いただこう。
Inanimusさんの投稿 2017年9月3日(日)
んんん??ヘビの剥製だが、普通の形ではなく、カクカクしている。
Questa è una delle nuove opere in mostra.
Orari apertura:
da martedì a venerdì 16/20
sabato e domenica 10/12 – 16/22Inanimusさんの投稿 2017年9月7日(木)
トイレに座って雑誌を読むイノシシ。人間みたいだ…
Inanimusさんの投稿 2017年9月3日(日)
こちらも人間のようなポーズの水牛と思われる剥製。靴を履いてライフジャケットのようなものを持っている。
Inanimusさんの投稿 2017年9月3日(日)
ゴージャスな装飾品を身につけたカメ。これも人間のような姿である。
どれも生きていたころの姿ではない剥製だ。おそらく、相当な技術が必要なのだろうが…
アート…?
この写真が海外のネット掲示板に投稿されると、すぐに議論が巻き起こった。
「僕は嫌いじゃないよ。」
「ははは、アニメに出てくる動物みたいだね。」
といった声がある一方で、
「すぐに消して!!」
「不愉快な剥製だ。」
といった声もあった。
剥製は動物の死体を利用して作られている。本来の目的は、その姿、形を残すことである。今回のように、動物に人間のような姿勢をとらせるのは、その目的からずれてしまっているのではないだろうか?
日本でも一部の地域では、古くからの伝承に基づいて、狸の剥製に服を着せたり、とっくりを持たせたりしたものがあるし、人間のようなポーズはとらせていないものの、色々なお店で剥製が飾られていたりする。
アートとして、人間がこのような形で動物を利用するのは正しいのだろうか?今回、問題視されたのは海外の剥製であったが、我々も今一度、動物、そしてアートについて考える必要があるだろう。