栄光捨て黒人差別と戦った白人銀メダリスト「ピーター・ノーマン」

事件

オーストラリア初の銀メダル

まずはこちらの動画をご覧頂こう。

1968年メキシコオリンピック、男子200m決勝の映像だ。

お気づきになられただろうか。なんとこの大会、身体能力の高い黒人選手たちが出場する中、銀メダルを獲得したのは白人選手だったのだ。

彼の名前は、ピーター・ノーマン(Peter Norman)。オーストラリア代表の選手だ。オーストラリア人初の、陸上200mでのメダルだ。しかも彼はそれだけでなく、その決勝でオーストラリア最速記録を叩き出したのだ。その記録は、2017年になった今も、未だ破られていない。

そんな栄光を祖国に持ち帰った英雄、ノーマン選手。しかし、メキシコオリンピックを最後に、オリンピックという輝かしい舞台から姿を消してしまった。

いったい彼に、何が起こったのだろうか。

未だに消えない人種差別

ここで少し、メキシコオリンピックが行われた1968年の時代背景を説明しよう。

1950年代から1960年代にかけ、アフリカ系アメリカ人への公民権の適用と人種差別の解消を訴える公民権運動がアメリカ国内で盛んに行われるようになった。そのアフリカ系アメリカ人の忍耐強い努力の結果、1964年7月2日に黒人の人種差別を法律上禁止する公民権法が制定された。

しかし、制定後も白人によるアフリカ系アメリカ人への人種差別は完全にはなくならなかった。1965年に起こった、白人警官が黒人公民権運動家に暴力行為を行った「血の日曜日事件」をはじめ、メキシコオリンピックが行われた1968年に起こったマーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺事件など、人種差別はまだまだ続いていた。

同じように、オーストラリアでも、白豪主義と掲げ、白人優位主義とアボリジニなどの非白人を排除する政策が行われていた。

ブラックパワー・サリュート

そんな黒人人種差別の機運がまだ強く残るなか行われたメキシコオリンピック男子陸上200m決勝。

1位トミー・スミス、2位ピーター・ノーマン、3位ジョン・カーロスという、3人中2人が黒人という結果に終わった。その時の表彰式がこちら。


1位の、スミス選手と3位のカーロス選手が、黒い手袋を付けて、高く手を掲げている。これは、ブラックパワーサリュート(Black Power Salute)と呼ばれ、黒人人種差別への抵抗である。この二人の英雄の行動は、勇気ある行動として今でも語り継がれている。

一見、たたずんでいるだけに見えるノーマン選手。しかし、この表彰式こそがノーマンさんが、オリンピックという輝かしい舞台から姿を消してしまった原因なのである。

第三のヒーロー

なぜこの表彰式のせいで、ノーマン選手まで?と思ったかたもいるだろう。

3人の左の胸元に注目してほしい。3人とも同じ、円形の白いバッジを身に付けていることにお気づきだろうか。

Peter Norman Dayさんの投稿 2013年9月23日


このバッジは、ほぼすべての黒人選手がオリンピック期間中に身に付けていたという、人種差別への抵抗のしるしだ。それを白人であるノーマンさんが身に付けている。今では、あまり知られていない、第三のヒーローがそこにいたのだ!

かねてから、ノーマンさんは、神を信じ、人類は平等だと信じていたことから、そのバッジを他の選手から借り、付けることを決めた。さらには、もともとスミス選手だけが付ける予定だった黒い手袋。それを片方ずつ二人で付けることをアドバイスしたのもノーマンさんだ。

そのときに、ノーマンさんが言った言葉。

“私はあなたとともに、立ち上がる(I’ll stand with you.)”

ジョン・カーロスはこの言葉をいまでも覚えている。

当然、白豪主義を掲げていた祖国オーストラリアからは、非国民、国民の恥と、批判の嵐だ。それだけでなく、出場資格を満たしていたミュンヘンオリンピックにも選考されることはなかった。

その後の人生

自分自身へのバッシングが絶えない中でも、オーストラリアンフットボールの選手として、ノーマン選手は走り続けた。

しかし、更なる不幸がノーマンさんを襲う。チャリティーレースに出場していた最中、アキレス腱を切ってしまい、足の切断までに追い込まれてしまったのだ。絶望が彼を襲った。アルコールと、痛み止めに依存する毎日が続いた。

オリンピック銀メダルという、栄光と名誉から一転、人生のどん底に落ちてしまった。

そして、2006年9月3日、ノーマンさんは心臓発作により、64歳で亡くなってしまう。結局、人種差別がなくなった後も、ノーマンさんのメキシコオリンピックでの勇気ある行動が称えられることはなかった。

あれから6年後・・・

人種差別がなくなった後も、オーストラリア政府がノーマンさんに直接謝罪することはなかった。

しかし、彼の死後から6年たった、2012年の8月、オーストラリアの国会が正式に謝罪を発表した。

それは、1968年のノーマン選手の銀メダルの獲得と、その表彰式でとった勇気ある行動を褒め称え、ミュンヘンオリンピックの出場権剥奪と彼への批判を謝罪するものだった。

それまでは、トミー・スミスとジョン・カーロス二人だけによるものだと思われていたブラックパワー・サリュート。メキシコオリンピックから44年経ってやっと、ノーマンさんが第三のヒーローとして世界的に知られるようになったのだ

意思は受け継がれていく

世界中に広まったノーマンさんの勇気ある行動は、彼の甥っ子のマットさんが監督をしドキュメンタリー映画として2012年に公開された。


さらには、表彰式のあった9月9日をピーター・ノーマンデイとし、ノーマンさんのあの日の行動を称えている人たちもいるようだ。

Peter Norman Dayさんの投稿 2013年10月6日

ごらんの通り、ノーマンさんの意思は確実に後世へと受け継がれている。

アメリカのトランプ大統領が推し進めるナショナリズムの影響で、人種差別がまた起こってしまうかもしれない。二度とそのようなことが起こらないように、ノーマンさんの意思が現代の人の心に生き続けていくことを願いたい。

参照元:YouTube[1][2]CBC radioFacebookwikipedia

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マル太

身長185cmのうどの大木。最近、筋トレはまってます。プロテインはバニラ味よりチョコ味派。好きな食べ物はささみフライ。はまった言葉は、「どうにかなるさ」。基本休日はボーっとしている大学生です。

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