ワシントン・ポスト紙に掲載された、アメリカと日本で生き別れた母子の再会ストーリーが話題を呼んでいる。
母は日本の静岡で子供の名前にちなんだレストランを経営しながら、再会を夢見ていたという…。
母をたずねて
アメリカ空軍大佐のブルース・ハリウッドさんは日本人とアメリカ人のハーフだが、生まれてすぐに養子に出され、アメリカ人夫婦によって育てられた。
長年、産みの母であるノブエさんを探すことを避けていたブルースさんはあるとき心臓発作を起こし、生死をさまよった。
「産みの母にありがとうも言えずに死ぬのか…」
死の淵で後悔したブルースさんは奇跡的に生還し、ノブエさんを探すことを決意したのだ。
初めての電話
ノブエさんを探す道のりは、思った以上に険しいものだった。しかし同じ日系アメリカ軍人の助けもあり、ブルースさんはようやくノブエさんが日本の静岡に住んでいることを突き止めたのだ。
二人はまず、国際電話で話すことにした。初めての電話をした日は、なんとノブエさんの65歳の誕生日の前日だったという。
さらに驚いたことに、ノブエさんは自分が経営するレストランとバーに、息子の名前「ブルース」と付けていた。
ノブエさんはずっと、自分の息子が訪ねてくるのを待っていたのだ…。
ブルースさんは感動のあまり、ノブエさんが嘘をついているのでは?とまで思ったという。しかしもちろん、それは嘘ではなかった。
母の住む静岡へ
この電話から10日後、ブルースさんはノブエさんが住む静岡県へ向かった。
画像はイメージです
そこで実際にレストラン「ブルース」の看板を目にし、母の心にはいつも自分の存在があったのだと痛感し涙を流したことだろう、、、
ノブエさん曰く、恋人のアメリカ軍人はノブエさんと結婚するつもりだったが、手続きが完了する前に帰国を余儀なくされた。すぐに連絡すると言った彼が実際に電話をしてきたのは、帰国して数ヶ月も経ったころだったという。そんな彼を信用できないと感じたノブエさんは、一切の連絡を絶った。ノブエさんは、妊娠したことすら話さなかったのだ。
生まれてくる子供は日本とアメリカのハーフになる。ハーフの子供が日本で、しかも母子家庭で生きていくのは難しいと感じたノブエさんは泣く泣く、在日米軍のハリウッド夫妻にブルースを託したのだ。
ノブエさんの手元に残されたのは一枚の写真と、「ブルース」という名前だけ。その後ノブエさんは結婚もせず、息子への思いを胸に秘めたままレストラン「ブルース」を切り盛りしていったのだという。
空白を埋めるかのように、ブルースさんとノブエさんはアメリカと日本を行き来し、交流を深めた。
そして再会から3年後、ノブエさんは心臓発作でこの世を去った…。
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私(高勢)もそうであるように、母親の多くは「子のためなら自分の命も惜しくない」と考えるだろう。そんな母が子供を手放さなければならないとは、どれほど辛いことだったか。
そして、これはただの感動ストーリーではない。片親やハーフへの偏見が強いという、日本の問題を浮き彫りにしていると感じる。
二度とこんな親子が出ることがないよう、偏見のない世の中を作っていくことが我々の使命ではないだろうか。
参照元:ワシントン・ポスト