海外にはない表現
私たちは何かを表現し伝えたいときに「言葉」を使うが、それで世の中のすべての現象を説明できるのかというとそうでもない。
「コレを表現できる言葉があればいいのに」といったニーズは潜在的に人の心にたくさんあって、ネットなどで誰かがそれにぴったり合った造語を作ると爆発的に流行したりする。
これに関連して、先日アメリカのメディア・ニューヨークタイムズに掲載された、日本の「ある言葉」を紹介したエッセイが話題になっている。
There's a Japanese word for the stack of books that you've purchased but not yet read: tsundoku https://t.co/fjp93Ggyvq
— The New York Times (@nytimes) 2018年10月14日
エッセイのタイトルは、「買ったけどいまだに読んでない本達。これを表現する言葉があります。」
とりあえず買うんだけど、読まない。この心理は万国共通であるらしい。エッセイ内では「本棚はその人の心を映すシンボル」「本を増やし続ける人は新しいアイデアや声に耳を傾ける重要性を知っている」と表現されている。
金融デリバティブの専門家・ナシム・ニコラス・タレブ氏は、「買ったけどいまだに読んでない本達」のことを「アンチライブラリー」と呼ぶよう提唱しているそうだが、エッセイの著者は「アンチライブラリーがいい言葉だとは思わない」とばっさり。そして、「日本語の『積ん読(tsundoku)』という言葉がピッタリだ」と書いている。
「積ん読」という言葉が生まれたのは明治時代のこと。「積んでおく」と「読書」をかけあわせたかばん語である。最近は電子書籍が普及してきて、本を「積む」という表現は伝わりにくくなっているかもしれないが、「買ったのに読まずにそのままになっている」という意味では、今後も使われていくかもしれない。
海外ではつい最近まで表現する言葉がなかったのに、日本ではその表現が明治時代には生まれていた。不思議である。
派生語として、「買ったけど時間がなくてできないゲーム」のことを「積みゲー」といったりするが、これも海外のギーク(オタク)達が集う掲示板などで「tsumige」として使われることがある。
言葉で表現できないことを絵や音で上手に表現する人もいるが、言葉そのものの可能性もまだまだ広がりそうである。